2013年10月2日水曜日

ビブリオバトルNo.1 「生きられた家 経験と象徴」


計画することができない路地について設計者である私たちが学ぶ意味はどこにあるのか。その手掛かりになるものとしてこの『生きられた家 経験と象徴』という本を手にとってみた。


著者は美術・写真評論家の多木浩二で、1976年の初版の発表後に何度か改訂がされている。内容としては「生きられる」ことについて家を題材とし、時間、境界、空間の図式など様々なキーワードとともに考察をしている。


まず生きられた家とはなにかということだが、著者は「そこに住む主体の経験に同化され、主体を同化した複雑な織物(テキスト)」と説明している。それは計画できるものではない経験の空間にあたえる質が形成される。そして「家」は住み手が意識的には語るぬ側面まで含めて表すようになるのである。つまり住み手の意識をこえ無意識的な側面をも含むことから家は恣意的で非論理的で解読しにくいものとなるのである。


次に多木は建築家の作品と生きられた家を区別すると説明している。建築家の作品は、わかりやすく言えば建築雑誌に掲載されているあの状態を指しており、現実に生きられた時間の結果ではないのである。そもそもこの本は生きられた家をどうしたらデザインできるかということを説明する本ではなく、実際1976年に初版が出版された時、多くの建築家は戸惑いを覚えたという。しかし建築家に対し示唆を与えていると思われる箇所として「…人間が本質を実現する「場所」をあらかじめつくりだす意思にこそ建築家の存在意義を認めなければならない」と述べている。また多木は家を行為を点で結んだ結果と捉えるのではなく、物と物の空白、行為の概念の間に住み手の無意識が蓄積するという。つまり建築家にできることとは、住み手の無意識が蓄積する受容力をもつ余白を家に持たせる意識を持つことであるのではないだろうか。


ここで路地について考えてみる。路地とは計画者の存在しないものであり、建築のいう計画物の隙間であることから物理的な余白であると同時に、通行ということ以外に特定の縛られた機能をもたないという意味で機能的にみても余白であると捉えることができるだろう。そこに無意識が蓄積されていくことで路地は生きられた空間となるポテンシャルをもつと考えられる。そして生きられた空間という概念から考えられる路地的なものとは、余白に蓄積する「無意識」であるのではないだろうか。その路地で現象している無意識を学び取ることが私たちが設計者として路地を学ぶ意味につながるのではないだろうか。


議論

早田:余白とはなんなのか。建物の隙間だから路地が余白であると捉えることと、生きられた家における余白とは単純に結びつけられることなのか。

斎藤:多木がメタボリズムを否定的に扱ったのは時間というものを予定調和的に扱ったからで、経験を通した時間に対する視点に欠けていた。つまり時間に対する余白も考えられる。

津田:計画するということの定義はなんなのか。生きられた家であろうとなんであろうと、建築をつくることは計画をするということであり、その意味の幅を考えることが設計につながるのではないか。

吉川:路地的なものを無意識と言い切ってしまえるのか。意識的なものであっても住み手を表していると思う。

早田:無意識を学び取ることは容易ではないのではないか。


今後、路地ゼミをまとめていくにあたって、ビブリオバトルを継続していくことで既往研究の整理を行い、また様々な文献で得られた路地に対する解釈を自分たちが今までに作成した路地に対する認識の方法(パラメーター、イメージマップ等)にフィードバックしていくことでそれらをビルドアップしていければという方針をたてました。


文責:斎藤愼一

2013年8月26日月曜日

無意識について

意識的なもの、無意識的なものについて多木浩二は「生きられた家」においてT.E.ホールのことばを次のように引用している。

「日常、働き休み行動する人間の自己は、行動の型の集合体であり、…….一部は本人によって知覚されているが、それ以外の部分は本人からは分裂していて、本人以外には明らかであっても、本人自身は目かくしされている。」

家において我々は食事をし、睡眠をとり、テレビを見て、家事をする。これらの行為を点でつないだものが生活であると考えたとしても、家をこれらの行為に還元することは家を道具的機能の集積ととらえることになる。それに対し、多木は、

「かりに家が住む道具であるとしてもそれは個別の道具の和ではない。物と物の空白、行為の概念のあいだには私たちの意識と無意識が途方もない空間と時間を広げているものである。……家という意味表現(シニフィアン)は、いわば言語として構成されている無意識である。謎めいて見えるのは、そのひとつひとつを住み手がその内面において意識化されたものを表現したものではなく、住み手の意識の外にあるからで、この物(家)のことば(意味表現)から、かれの欲動や期待を読みとるには、間接的な方法によらねばなるまい。そこにはすでに……置換や圧縮という機構が働いているからこそ、家が住み手の意識をこえ無意識の深みに結びつくことばとして成り立つわけである。このような意味では家はつねにメタファーである。」

と述べている。つまり家には住み手が決して意識的には語らぬ無意識的な側面が存在し、それらは恣意的で非論理的である。そうであるからこそ家は、意識の外にあり、直接見ることができない広大な世界を結びつけるメタファーとして存在することができるのである。

ここで、ゼミでもたびたび登場した、しつらえの路地とは反対の生活の路地について考える。ここでいう路地とは、その路地に面する各々の家から溢れ出た生活が混在するものであり、それは言わばさまざまな住み手の無意識の集積である。こういった路地が一見捉えどころがなく、読み取りづらいのは恣意的で非論理的な「無意識」が介在するからではないだろうか。我々が、こういった路地に魅力を感じ、惹き付けられるのは、その空間が近代の計画理論を超えたまさに多木のいう「生きられる空間」だからであると考える。

一方で、家に住まう住み手の無意識が路地に滲み出るというようなことを一様にいうことにも危うさを感じている。バシュラールが「片隅の空間」について「われわれが身をひそめ、からだをひそめていたいとねがう一切の奥まった片隅の空間は、想像力にとってはひとつの孤独であり、すなわち部屋の胚珠、家の胚珠である」というように、彼にとって家は閉じた内密の世界をもち、そのなかに記憶と夢をかくまうものであった。多木はこれに対し、日本の家は物質の厚みに欠け、襖や障子では片隅という感覚は起こせないと述べている。つまり、ここには日本と西洋の違いや、境界に関する問題が含まれている。今後のゼミでこのような点も議論できると良いのではないだろうか。



















(写真)月島の路地

文責:斎藤愼一

2013年7月18日木曜日

今日の路地・スカンノ


今回の今日の路地は、イタリア半島のなかばからやや南の山あいにあり、いまでは人口二千人ばかりの小さな町スカンノ(Scanno)の路地です。画家マウリッツ・エッシャー、写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン、また特に写真家マリオ・ジャコメッリの眼から見たスカンノという町をみてみることによって、“路地的なもの”と今まで議論されてきた曖昧なイメージに対し、より具体性を持った話が出来ればと思います。

・エッシャーのスカンノ


Escher, Scanno, 1930
同じ構図から見たスカンノ

画家マウリッツ・エッシャーは1930年にスカンノの絵を描いています。エッシャーは1920年代後半から30年代前半にローマに住んでおり、イタリア各地を旅行しては風景画を多く描いていました。この絵はその時の一連の作品の中の一つで、二人の人間が戸口に座っている風景が描かれています。







・カルティエ=ブレッソンのスカンノ

Henri Cartier-Bresson, Scanno, 1953
Henri Cartier-Bresson, Scanno
Henri Cartier-Bresson, Scanno



アンリ・カルティエ=ブレッソンは、1950年代にスカンノの土地を訪れて作品を残しています。下にあるマリオ・ジャコメッリの写真とほぼ同じ構図の写真を撮っており、彼に大きな影響を与えたのではないかと推測することが出来ると思います。



・マリオ・ジャコメッリのスカンノ


mario giacomelli, Scanno, 1957
mario giacomelli, Scanno, 1959


mario giacomelli, Scanno, 1957

mario giacomelli, Scanno, 1957


ジャコメッリは1957年と1959年に二度スカンノを訪れています。ジャコメッリは初めてスカンノを眼にした時の感動をこう伝えています。

「スカンノは、陽光にあふれ、そこここに黒い小さな人影があって、私におとぎの国の印象を与えた。まさにドキュメンタリーを思わせるもののいっさいが消えてしまうように、ディテールを白くとばそうとし、それによってそこに、より詩が見出せると考えたのだ。私はリアリズムをスカンノや、もしくはほかの土地でもなく、たとえ特別でも何でもないとしても、その時の私の心の状態を再現してくれるようなものごとについて追求しようとした。リアリズムは、優れたものであればとても好きだし、自分でもしっかりと手応えを感じるが、写真を撮る時にはこれから自分がしようとしているのがリアリズムなのか、シュールリアリスムなのか等々、といったことはまったく考えず、ただ自分が感じているものを出そうとしているだけだ。」(『MARIO GIACOMELLI 白と黒の往還の果てに』アレッサンドラ・マウロ編 2013年)

さらに、多木浩二はジャコメッリのスカンノに関するエッセイでこのように述べています。

「ジャコメッリの思い出によると、彼は最初に訪れたとき、友人の写真家レンツオ・トルネッリの車ではじめてスカンノを眼にした。その光景にすっかり興奮したジャコメッリは、まだ走っている車から飛び降り、10メートルくらいころがって膝を擦りむきながら撮影したという。」(『表象の多面体』多木浩二著 2009年)

「斜面に犇めく家々、高さの違いからいたるところに必要な階段、途中の小さなテラス、公園か広場あるいはメインストリートと呼んでもいいのかもしれない石畳の空間。そんなところを牛や鶏が歩き回っている。教会の数は多い。彼はスカンノの町を説明しようとしているのではないが、それでいて彼の写真からわれわれは、この町についての大まかな情報をえていることになる。けっして大きなパースペクティブには開かれることのないスカンノの空間の変化が絶えず感じられるのだ。」(
『表象の多面体』多木浩二著

以上が、三人の芸術家がスカンノという町を表現していた概略ですが、ここで多木浩二や辺見庸のジャコメッリのスカンノに関する批評をみていくことで、“路地的なもの”に関する手がかりを見つけていきたいと思います。



「ジャコメッリは現実からは失われた古い記憶に巡り会っていたのだ。彼にはスカンノの町はいまでも神話に生きているように見えたのであろう。だが文化をつくってきた人類は、どこかに記憶をたくわえることもなく生きているはずはない。ジャコメッリはつねにそう思ってきた。だからスカンノを見たとき、そのように古い記憶に巡り会ったように思えたのである。現在を生きることにのみかまけているわれわれは、ジャコメッリの写真に触れて記憶の古層に引き込まれ、同時にその記憶を現実の生活のなかに引き出そうと考えるようになればいいのである。」(
『表象の多面体』多木浩二著

「古い村ときけば、まずは風俗や文化を研究しなければならないと考えるわれわれの紋切り型の発想に反して、スカンノの風俗や地域文化を撮るという問題意識をジャコメッリはいっさいもたなかった。かれはこの村を端的に〈異界〉と見たのである。・・・・・「スカンノの少年」に代表される〈異界〉の映像は、〈資本〉に食いつくされる以前に人間がもっていたであろう豊かなイマジネーションを回復するための手がかりでもある。われわれが生まれる以前の〈記憶〉をたぐりよせて、記憶の始原について考えたり、時間とはなにか、人の一生というのはなんなのかということを、浅薄な倫理を超えてあなぐるための映像的な手がかりをジャコメッリは提出している。・・・・ジャコメッリの内面の異空間と見る者の内面の異空間とが、ある〈記憶〉を共有しているところから、見る者にもジャコメッリのとらえた〈異界〉が遠い世界のものとはおもわれず、夢で見たことがあるような感覚(デジャーヴュ)にとらわれるからなのである。ジャコメッリと私たちは冥界を共有しているといってもよい。おそらく、われわれの遠い祖先たちの時代には、〈現〉のなかに〈異界〉が自然に入りこみ、たがいに仲よく親しんでいた時代があったのである。そしてそのかすかな〈記憶〉から、いまわれわれは、〈異界〉や冥界が身近にあるような風景を意識下で欲しているのであろう。「スカンノの少年」の映像は、そんな〈記憶〉を呼びさますことで、イマジネーションを回復するためのたしかな手がかりとなったのである。」(『私とジャコメッリ 〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて』辺見庸著 2009年)


ここに出てきた“記憶の古層”や“異界”という言葉は、ジャコメッリのほかの二人にも、程度の違いはあるにせよ、または自覚的であったかそうでなかったかはあるにせよ、当てはまる言葉ではないかと思います。また、“路地的であるもの”にも関係してくるのではないでしょうか。

三人の芸術家がスカンノの町を見て、彼らの“記憶の古層”に巡り会い、さらに彼らの表現したものを見て、私たちは自分の”内面の異空間”にある〈記憶〉を共有する。そのことこそ、私たちが“路地的なもの”と感じる所以ではないかと考えています。

さらに、自分の言葉でまだまだ言語化できていませんが、先日のゼミで議論になった“内空間”へとつながる話であるのではないでしょうか。今後、こういった議論をできればと思っています。





文責 松岡 啓太

2013年7月6日土曜日

言語について



東京において未熟なタクシーの運転手に行き先を伝える際、私達は小さな路地の名前を口に出さない。仮にその小さな路地が私達の口から言語として生じた際、その路地は既に共通認識のある魅力的な場所として命名されており、経済的利潤の中に空間化していることが多い。

一方、言語として街路・路地に新たな情報を付加することは、歩行者に対して純粋で感覚的な印象を呼び起こし、その印象は目の前に広がる路地の物理的な印象と相互浸透・二重化することで想起可能なイメージを増幅させることが可能である。

この実質的な路地の言語性と感覚的な路地の言語性の間に潜在する関係性は一体何なのかということに現在における路地の経済利潤的な新規性を期待している。

渋谷の「公園通り」や「スペイン坂」の命名は西武による街のイメージを喚起するためのマーケティングであり、新宿都庁の第一本庁舎と第二本庁舎の間を通る道路には「ふれあい通り」と命名された高層ビルに挟まれ立体交差する四車線道路が存在している。
街路・路地の命名は様々な組織の利害関係が混ざり合った上で都市に配置されるが、その街路や路地を歩きその場所や空間の印象として感覚的に想起してゆくのは私達本人である。

「街路名にひそむ感覚性。それは普通の市民にとってどうにか感じとれる唯一の感覚性である」
ヴァルター・ベンヤミン著『パサージュ論』断片群P「パリの街路」より

そのような現代の有り様の中で前回、現代の路地を知覚するのは近代以降の教育を受け、ある程度の固定観念を必然的に持ってしまった私達本人であるという視点から、私達の路地に対するノスタルジーを含む感覚は近代以降の知的思潮の影響からも派生してきており、ベンヤミンの生きた複製技術の芸術時代を初めとする様々な思考、都市に対する陶酔経験は日本の路地の文脈とも本質的に繋がっているという視点を持った上で路地を考察した。

この路地に関する議論の中で私はこの側面を継続し、路地から受ける人間の感覚性と実質的な経済利潤関係の絡まり合いから現代への可能性を考察していきたい。




文責:赤池一仁

第五回路地ゼミ13.07.04議事録

第五回路地ゼミにおいては、前回の奥性の議論を主軸として、パラメータ化の作業を継続し、803枚の世界中の路地写真を集積しパラメータ化を試みました。



【レーダーチャート】
一つの図に写真を分布するのではなく、一つの写真に一つの図(レーダーチャート)を与える。
上のようなレーダーチャートをそれぞれの路地の写真全てに対して作成し、評価する。その上で、奥性の強弱の評価とレーダーチャートの傾向との間になんらかの関係性を発見できないだろうかという提案を行いました。奥性という感覚の問題と数値化された値との関係を考察することで、感性を数値化し、パラメーターとして表すことの可能性を考えます。




集積した803枚の路地を総合点が高い順に整理し、各グループに別れて路地のパラメータに対して討論しました。上図は総合点が一番高かったパラメーター図と路地性を感じた絵画の事例です。


1.  新しい形・傾向の発見


植民地型

これはシンボル、不可視性が低めであり、東京においてもゴールデン街などにこの形が見られる。自然発生的でないアジアの路地にこの傾向は多く見られ、植民地型の低い箇所が増加するとアジア型へ向かうことになります。



ダイヤ型(明暗とD/Hが飛び出ている形)

これは暗い中に一点の光があるような写真に多い傾向があります。また、ある一定のD/Hを発見することにより得点の高い路地が多いことを発見しました。


2.  シンボルは評価軸に不要ではないか。

シンボルが高いことと不可視性が高いことは相反する事実であると考え、この二者があることでパラメータが狂う為に、シンボルは不要ではないか。また評価軸の一つであるシンボルは結果が0か5になりやすく、シンボルが低いと集積性と多孔性が高くなる。これは他のものに視点が映るからではないかを推測する。また上位に日本の路地写真が少ないのにはシンボルが関わっており、西洋のようなシンボル性が無いことにより現状のパラメータでは日本は分が悪く、より生活感という視点で評価してみると日本の路地評価が上がるのではないか。また日本人はアジア的な路地をよく見たことがあるので、一種の慣れが生じてしまっている点に対する考慮の必要性があるのではないかという指摘が為されました。

3. その他の議論 まとめ

感覚的には良い路地であるが総合得点の低い路地に対して、数値で表現され得ない新しい評価軸も考慮するべきである。

また奥性の評価軸として、奥行の表現方法の差異を議論に加えるべきである。(奥行の積層性等)

絵画や都市の俯瞰図等、一定の評価軸で全てを評価出来ない段階に来ているのではないか。様々な路地の種類の限定に関しては慎重にならなければならない。


以下これらの発表に対する討論の内容です。

佐々木:基本的に一回目と二回目のデータの差異はそんなにないのだが、(集積性は評価軸が出たから別として)シンボル不要説などの議論も含めてやりながら感じたことありますか。
渡部:そもそもこのデータは曖昧な評価ではないのか。このレーダーチャートを定量的に測れるものにする必要がある。より詳細な決まりをつくる必要があるのではないか。現在総合のバランスで路地の奥性を評価しているが、ひとつひとつも十分に奥性を評価しているので、そこはどうなのか。
早田:物凄く厳密に評価軸を決めてひとつひとつ評価する必要は無いのではないか。すべて確かにそれらで評価出来るが、この定量的に評価出来るということは以前の話で討論済みである。しかしこれらはどこまでいっても定量性を越えられない。これでは基に戻ってしまうのではないか。客観的な視点で評価をするということは別に厳密さを求めていない。あくまで感覚的な事柄を数値化することでそのバランスを見るのであってそれを大切にしたい。
渡部:確かにそうだけれどこれでは既にわかっている物事を追求しているだけに過ぎず、新たな物事の発見にまで及んでいないのではないか。
吉川:路地的な絵画をはねのけられた前回の議論から、絵画を路地化する手法として奥性が現れたのではないか。
伯耆原:今後は絵画をカテゴライズしてやっていった方が良いのではないか。絵を抜き出してその形を抽出してそれと似た路地を見つけるような事をやってみたい。
早田:この議論に定着のあり方を求めるべきではないか。終着点が無いとやってみたところで結論に落とし込むのが難しい。800個とかじゃなくて物事を絞ってやってみると精度が上がってきて良くなっていくのではないか。もしこれを続けるのであれば分類の方法をしっかり決めて、次の路地に対して生かすべきできではないのか。
斎藤:備考欄を○と×でやるのではなくて、例えば「ヒトの視点」とか視点を変えて見てみることで新しいマトリクスが描けるのではないか。
早田:平面図みたいな図面はさすがに奥行を評価するのは無理じゃないか。なんで絵画が評価出来るのかというと最低限の空間を絵画に想像しているからではないか。あと、この評価方法には時間の軸がかけている。それと空の切り取り方が大事だと思う。あるH/Dが存在するのはそういうことではないか。ガレリアとか空が全くないものは路地ではないのではないか。空の切り取られ方だけ研究してみると良いのではないか。あくまで評価できないのが路地であって、それらが評価できないからこそ路地のデータって少ないのではないか。その中で一見どうでもいいような路地に評価軸を加えてガイドブックを作ると価値のあるものになるのではないか。何を思って写真を持ってきたのかをひとりひとり説明して欲しい。


次に、既往研究『内と外の空間論―言語系の表現事例を通して』を主題に議論を行いました。

発表として、文学テクストの空間は人物の意識と呼応しながら構成されており、どの人物の立場でテクストを読み解くか、その空間の中心点の位置によって空間の内部・外部の規定は変化する。記述された空間を解読するにはその空間の中心点を見定め、人物の心境と重ね合わせて空間の意味を捉える必要があるということが指摘されました。

まず、参考文献として国文学者であり文芸評論家である前田愛による『都市空間のなかの文学』を取り上げ、文学作品とそこに描き出されている都市空間の相関を解読する中で著者の空間の捉え方について発表されました。




著者は作中人物の心理や行動を〈図〉とした上で、その背景として記述される空間を〈地〉として捉え、〈地〉である背景としての「内空間」は作中人物や語り手の意識を反映し、人物の行為と呼応しながら全体の意味を強めていると指摘します。
次にG・フローベルの『ホヴァリー夫人』を例に説明し、テクストの空間には語り手や作中人物の視点を基準とした中心点が存在し、話の進行とともにそれが移り変わることで「内空間」の拡大がもたらされると指摘し、テクストの中で実際に記述されている部分は限られているが、読者はその記述されている部分に喚起されて記述されていない部分の空間をもイメージするとしています。
また主体となる人物が変化することで、空間のオモテとウラは逆転し、空間を把握するための中心点を何処に定めるかによって同じ場所であっても異なる空間として表出することを指摘しました。




またベルリンの都市空間を「内」と「外」の対立項で分節化したテクストとして知られる森鴎外による『舞姫』を取り上げ、「公」であるベルリン中心部から見ればクロステル街は都市の外部であり、裏側としてマイナスの意味合いで認識されるが、太田にとっては自身の心境と一致した内部的空間であったと指摘します。その中で片山孤村の『伯林』を取り上げ、クレーゲル路地の実景を議論と連関した路地の参考写真として挙げました。


内と外の空間論―言語系の表現事例を通して』発表後の討論の内容としては、今回の発表を踏まえて、写真ばかり題材にしていては発展性がないのではないかという問題提起は多いに出来ると言う意見があり、人間の心の中には内と外があって、それ次第で中心が変化し見方が圧倒的に変化する中で、作者が想像しているもの以上に人々がどのように感じるかということが小説は興味深いと思ったと言った意見がある一方、言葉は一つで一つの空間しか表現できないという言説もあると言った指摘も為されました。また文学の空間は現実の距離を点から点にジャンプ出来るという事や、小説が映画化されて急に幻滅してしまうような現象は、このイメージの縮小に対して幻滅するのであろうかといった視点等様々な議論が展開されました。
また、共有できる価値が確立していないと、路地にしてもそれらを認識させることが出来ないが、それを超越出来るのが絵画や文学ではないのかという意見や、路地をレポートのような形で整理することは出来ないが、文学においてはそれらを整理・意識化することが出来る。このもどかしさは一体なんなのであろうかという指摘もありました。その中で挿話を挟むことが出来る事が多く発生する場所が人間生活遺構論であるという視点の重要さが再確認されました。


以上、今回の路地ゼミにおいてはパラメータによる路地の再評価と内と外の空間論からより広い視野で路地を捉えるという二軸構成により、路地の評価方法に関してより広範囲に捉え、深く掘り下げてゆくことで更なる発展が期待できる有意義な内容の討論が展開されました。


文責:赤池一仁

2013年7月5日金曜日

「時間」と路地1 「経験」から成る空間について



第二期路地ゼミ始動に当たって、この路地ブログの「今日の路地」のコーナーが各々関心のあるテーマで定期的に更新していく連載形式へと変わりました。

 これまで行われてきた路地ゼミの中で自分が一貫して考えてきた事は、路地における「時間」についてです。第二回の路地ゼミでは、路地における時間要素を「短期」的要素、「中期」的要素、「長期」的要素の3つに分類することによって、その時間要素と路地の認識のされかたがどのような繋がりをもっているかを考察しました。(http://irielabrs2013.blogspot.jp/2013/03/blog-post_25.html)
 継続して第三回の路地ゼミでは、「時間」という包括的すぎる言葉を路地的な言語に変換し「可変度」というパラメータによる認識の方法を提案しました。「可変度」は時間の長さに対してどのくらいの変化がその路地に発生したかという尺度です。しかしこの二回のゼミで行った内容やボードは本質的な認識の方法としての意味合いを持つに至らなかったと考えています。(http://irielabrs2013.blogspot.jp/2013/04/blog-post_12.html)
 というのは路地、または空間に「時間」を落とし込むには自らの「経験」や「体験」による身体運動を通さない限り発生し得ないと考えるからです。路地の写真、画像によって要素を抽出する作業では経験を通す事ができません。自分でやっといて無責任な発言ですが、「時間」を推し進める上で適切な方法では無かったとも思います。

 ならばどうすれば「時間」を含んだ路地の評価が可能になるのか。言い換えると、路地自体、路地全体というものをどうやったら評価できるか、捉えることができるか。そして、それを伝えることができるか。ということに要点を絞ることができると思います。
 このことは路地だけでなく、建築にも及ぶ命題のように思います。建築雑誌に乗っている内観写真、外観写真、また1/200ほどの平面図によって僕たちはその建築を評価しようとしてるわけです。人がいない、電化製品やティシュペーパーもない、網戸も取り外された撮影用カスタマイズ建築を評価してるわけになります。
 あくまで写真というツールが手軽で、わかりやすく、伝わりやすい(伝えやすい)表現であるから用いている、ということに自覚的でなくてはならないと思うわけです。


 これから僕が執筆していく「時間」に関しての一連の考察が、これからの路地ゼミの認識の方法の深化への補助となることを目標に書き進めていきたいと思います。
第一回目の今回は路地における「時間」ではなく、もう少し根本的な、「経験」を通した空間体験に関して記述します。

まずはじめに、本研究室の「内と外の空間論序説」等で度々参照される、D.Freyの「比較芸術学」の冒頭に記述された一説を引用したいと思います。

「凡ゆる造形芸術は身体表現の至る空間表現である。それは、一面では固有の身体感情、筋肉及び運動感情、抵抗や手探りの感情、重さや量の感じなとによって規定され、他面では我々をとりまき、我々がその中で動き回ることができ、その中に入り込むことができ、我々の運動に目標を与え制約を設けるものと言った、主体的な運動空間としてのこの世界についての体験の仕方によって規定せられている。」

ここでは、身体感覚と結びついた全ての知覚を通してこそ「空間」を認識できるという一面と、動き回る、入り込むなどの運動によって体験せられたものが「空間」となるという一面を説明しています。
つまり空間を規定するのは「主体的なあらゆる知覚」と「体験の仕方」であるということと思います。
続けて、

「全ての建築芸術は目標と進路という二つの契機を媒介とくる空間形成である。民家だろうと神殿だろうと、すべて建物というものは構築的に形成された進路である。即ちそこでは入り口をまたいで中に入ると、構築的な形成作用によって、作り上げられ、拡がりと奥行きへの動きに従って統一された空間が、順を追って現れることになり、かくてそこに在る一定の空間が体験せられることになるのである。然も同時に建物というものは周囲の空間との関係から見れば、ひとつの身体的形式としての目標なのであり、我々がそれに向かって歩み寄ったり、或いはそこから出て行ったりするものなのである。」

ここでとても重要な事柄は、建築(建築芸術)が「壁、柱、床、屋根」で形成されるものではないものとして表現されたことであり、この記述を引用したのは、その捉え方というものを「路地」に適応できるのではないかと考えたからです。

 路地は様々な事物の集積によって形成されていることは、認識のシークエンス(などの評価手法によって明らかになりました。建築が「壁、柱、床、屋根」であり、路地が「家と家の隙間」であるとすると、全く違うものとして表現されますが、経験からの空間アプローチから両者を考えると、「拡がりと奥行きへの動きに従って、順を追って現れることになる、一定の空間体験。」としてどちらも表現し得ると考えます。


 また、井上充夫は『日本建築の空間』の中で,
「近世日本の建築空間は、外国と比べて最も特色のあるもので、内部空間の構成だけでなく、建物の配置から庭園、都市などの外部空間の構成に至るまで、一貫した独自の性格が認められる。その特色は、一言で言えば「行動的空間」と呼ぶことができる。それは中国や西洋の建築に見られるような座標軸に縛られた幾何学的空間ではなく、人間の運動を前提とした流動的な空間である。そこでは見晴らしや見通しよりも、進むにつれて次々と変化する空間の継時的な展開が追求される。」

と述べており、観照者の運動とその変容しゆく空間展開を「行動的空間」と位置づけしており、同時に日本建築空間の特色として述べています。これは、バルセロナからの留学生であるマルタが、「西欧の街路に日本の"路地"のような概念があるか」という問いの解答を得るきっかけの一文として考えられます。


 最後に、比較芸術学と日本建築の空間から指摘された、「体験」「運動」「継時的観照」から建ち上がる空間形成に関して、ある建築的概念が真っ先に思い浮かびましたので、それを紹介します。

「人が入ると、建築的光景が次々と目に映ってくる。巡回するにしたがって場面は極めて多様な形態を展開する。流れ込む光の戯れは壁を照らし、あるいは薄暗がりを作り出す。正面の大きな開口にたっすると、形態の有様が見え、そこでもう一度建築的秩序を発見する。」

これは1923年にラ•ロッシュ=ジャンヌレ邸の創作を綴ったコルビュジェ全作品集に記載される言葉であり、これはコルビュジェの「建築的プロムナード」に関する初めての言説であると言われています。

1923 ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸 初期ドローイング

 路地をフィジカルな事物ではなく、ある「現象」として捉えるべきということは前回のゼミの議論でも話されましたが、ラ•ロッシュ=ジャンヌレ邸において、観照者の内に広がる心象風景を繋ぎ合わせることで「建築的秩序を発見」する、という現象によって建ち上がる建築であると言えるのでは無いでしょうか。

 この一連の考察中で僕は、路地を建築として捉え、内と外の境界領域として捉え、都市へのアプローチとして捉えているということを前提として、また仮説として、自分の考えを進めていこうと思います。それは、路地を路地として、建築を建築として捉えるのではなく、その枠組みを超えたところに入江研究室で路地ゼミをやっている事の意味がある様に思えるからです。建築を路地に引き寄せ、路地を建築に引き寄せて考えていけたらと考えています。

ただただ話をでかくしただけ感が溢れ出していますが、連載方式なんて小学校の夏休みの絵日記でしかやったこともないので、射程を長くとったということで、第一回はこれにて終われたらと思います。

文責:伯耆原洋太

2013年7月4日木曜日

既往研究について

 「路地本」をまとめるにあたって、既往研究として考現学を祖とするデザイン・サーヴェイを中心とした一連の流れを1900年代から現代までまとめ、年表にしました。そこに路地ゼミを並べてみることで、路地あるいは路地的なのものに関する研究の全体像を把握しようという魂胆だったのですが、なんとも言えない違和感を感じ、その年表だけで引き続き路地について議論することを躊躇うことになりました。
 それはデザイン・サーヴェイを始めとする動きが、集落であったり都市であったりを発見したのち、それを記述し定着させることを通して都市、社会というものを広く見ようとしたのに対し、路地ゼミとしては「路地的なもの」を含めて議論できるような「路地」の定義付け、つまり「言語化」が目的であり、記号として記録することはあってもそれはあくまでもその方法であること。また、デザイン・サーヴェイではあまり積極的に語られることのなかった(そして遺留品研究所はそこを批判しましたが)主体と客体の関係、更に認識の問題として主観、客観の問題の方をより意識している部分ではないかと思います。
 新たな既往研究が早く定まればそれに越したことはないのですが、次への糸口を見つけるためにもわたしの「今日の路地」では、何が違和感となっているのか更に整理しつつ、場所を認識するときの見るものと、見られるものとしての場所の関係を考えていきたいと思います。

 参考文献 <アタラシヤ>としての<ヒトーもの> 
          遺留品研究所 1971.7.都市住宅
      創る基盤としてのデザイン・サーヴェイ
          宮脇檀 1971.12.都市住宅
      メイド・イン・トーキョー
          貝島桃代 黒田潤三 塚本由晴 2001

文責 吉川由