日本における「路地」はそもそも、「露地」や「辻子」といった余白や接点としての広場の意味をもっていたと言われています。それはまた、より単純に言えば、「家と家の隙間」であり、しつらえや生活の為の「通路」であるとも言えます。
私たちが第一回目のゼミを通して感得した「路地的である」ということの意味としてそれは、暗く狭くためらいを覚えると同時に身体的で安らぎを覚える場所であり、猥雑な物の集積や生活の滲みだした場所であることもあれば整えられしつらえられた共用部でもあり、人々の関心と無関心が表出され、副次的な産物であると供に主体性や統一感を持ち得、非形式的で即興的な個別性をもっていることは同時に封建的な匂いを残し、導入でもあり行き止まりでもあり、談笑の場や遊び場、時にはアジールとなることも出来れば、犯罪の温床とも異臭を放つゴミ捨て場ともなりうる様な場所である様として捉えられました。
そして魅力的な「路地的空間」は、奥へと誘う様な明暗の変化やカーブ、シンボルを持っており、テクスチャーや集積物によって不連続な統一が与えられ、公共的でありながら其所に生きる人々の所有の痕跡が感じられ、形式的であるよりはむしろアウラが感じられる様な空間であろうと思います。
今回、1つ目の路地を紹介するにあたって、いきなり反則を犯すことを申し訳なく思います。新潮文庫版の「それから」のカバーイラストとなっている絵は、安野光雅さんの描かれた変わりゆく東京市の風景だと思いますが、直接路地的空間とは関係があると考えてはいません。
1909年、明治42年に書かれた漱石の「それから」は、遊民的生活を送る主人公の代助が、旧友の平岡とその妻三千代に再会し、逡巡しながらも三千代を奪い去り、社会に背を向けて生きていこうとする一場面を描いた小説です。代助の実家は青山にあり、自身は神楽坂に住まいながら、平岡と三千代の家のある小石川との3つの場所を行き来する中で、代助の葛藤と事態に心酔していく様が描かれます。そしてその移動の最中に、当時の変わりゆく東京の路地的な空間が、漱石の身体を通して重要な場面として描きだされていきます。
オープニングを飾る路地として何が最もふさわしいかを考え倦ねた挙句、最も生き生きとその路地的な空間性が現れているものは漱石の文体の中にあるのではないかという考えに至り、それに見合う路地的な空間の映像は、今後の研究を通じて探していきたいと思っています。
少し長くなりますが、以下に簡単な説明と漱石の文章を示して、今日の路地の1つ目とさせていただきたいと思います。