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2013年7月6日土曜日

第五回路地ゼミ13.07.04議事録

第五回路地ゼミにおいては、前回の奥性の議論を主軸として、パラメータ化の作業を継続し、803枚の世界中の路地写真を集積しパラメータ化を試みました。



【レーダーチャート】
一つの図に写真を分布するのではなく、一つの写真に一つの図(レーダーチャート)を与える。
上のようなレーダーチャートをそれぞれの路地の写真全てに対して作成し、評価する。その上で、奥性の強弱の評価とレーダーチャートの傾向との間になんらかの関係性を発見できないだろうかという提案を行いました。奥性という感覚の問題と数値化された値との関係を考察することで、感性を数値化し、パラメーターとして表すことの可能性を考えます。




集積した803枚の路地を総合点が高い順に整理し、各グループに別れて路地のパラメータに対して討論しました。上図は総合点が一番高かったパラメーター図と路地性を感じた絵画の事例です。


1.  新しい形・傾向の発見


植民地型

これはシンボル、不可視性が低めであり、東京においてもゴールデン街などにこの形が見られる。自然発生的でないアジアの路地にこの傾向は多く見られ、植民地型の低い箇所が増加するとアジア型へ向かうことになります。



ダイヤ型(明暗とD/Hが飛び出ている形)

これは暗い中に一点の光があるような写真に多い傾向があります。また、ある一定のD/Hを発見することにより得点の高い路地が多いことを発見しました。


2.  シンボルは評価軸に不要ではないか。

シンボルが高いことと不可視性が高いことは相反する事実であると考え、この二者があることでパラメータが狂う為に、シンボルは不要ではないか。また評価軸の一つであるシンボルは結果が0か5になりやすく、シンボルが低いと集積性と多孔性が高くなる。これは他のものに視点が映るからではないかを推測する。また上位に日本の路地写真が少ないのにはシンボルが関わっており、西洋のようなシンボル性が無いことにより現状のパラメータでは日本は分が悪く、より生活感という視点で評価してみると日本の路地評価が上がるのではないか。また日本人はアジア的な路地をよく見たことがあるので、一種の慣れが生じてしまっている点に対する考慮の必要性があるのではないかという指摘が為されました。

3. その他の議論 まとめ

感覚的には良い路地であるが総合得点の低い路地に対して、数値で表現され得ない新しい評価軸も考慮するべきである。

また奥性の評価軸として、奥行の表現方法の差異を議論に加えるべきである。(奥行の積層性等)

絵画や都市の俯瞰図等、一定の評価軸で全てを評価出来ない段階に来ているのではないか。様々な路地の種類の限定に関しては慎重にならなければならない。


以下これらの発表に対する討論の内容です。

佐々木:基本的に一回目と二回目のデータの差異はそんなにないのだが、(集積性は評価軸が出たから別として)シンボル不要説などの議論も含めてやりながら感じたことありますか。
渡部:そもそもこのデータは曖昧な評価ではないのか。このレーダーチャートを定量的に測れるものにする必要がある。より詳細な決まりをつくる必要があるのではないか。現在総合のバランスで路地の奥性を評価しているが、ひとつひとつも十分に奥性を評価しているので、そこはどうなのか。
早田:物凄く厳密に評価軸を決めてひとつひとつ評価する必要は無いのではないか。すべて確かにそれらで評価出来るが、この定量的に評価出来るということは以前の話で討論済みである。しかしこれらはどこまでいっても定量性を越えられない。これでは基に戻ってしまうのではないか。客観的な視点で評価をするということは別に厳密さを求めていない。あくまで感覚的な事柄を数値化することでそのバランスを見るのであってそれを大切にしたい。
渡部:確かにそうだけれどこれでは既にわかっている物事を追求しているだけに過ぎず、新たな物事の発見にまで及んでいないのではないか。
吉川:路地的な絵画をはねのけられた前回の議論から、絵画を路地化する手法として奥性が現れたのではないか。
伯耆原:今後は絵画をカテゴライズしてやっていった方が良いのではないか。絵を抜き出してその形を抽出してそれと似た路地を見つけるような事をやってみたい。
早田:この議論に定着のあり方を求めるべきではないか。終着点が無いとやってみたところで結論に落とし込むのが難しい。800個とかじゃなくて物事を絞ってやってみると精度が上がってきて良くなっていくのではないか。もしこれを続けるのであれば分類の方法をしっかり決めて、次の路地に対して生かすべきできではないのか。
斎藤:備考欄を○と×でやるのではなくて、例えば「ヒトの視点」とか視点を変えて見てみることで新しいマトリクスが描けるのではないか。
早田:平面図みたいな図面はさすがに奥行を評価するのは無理じゃないか。なんで絵画が評価出来るのかというと最低限の空間を絵画に想像しているからではないか。あと、この評価方法には時間の軸がかけている。それと空の切り取り方が大事だと思う。あるH/Dが存在するのはそういうことではないか。ガレリアとか空が全くないものは路地ではないのではないか。空の切り取られ方だけ研究してみると良いのではないか。あくまで評価できないのが路地であって、それらが評価できないからこそ路地のデータって少ないのではないか。その中で一見どうでもいいような路地に評価軸を加えてガイドブックを作ると価値のあるものになるのではないか。何を思って写真を持ってきたのかをひとりひとり説明して欲しい。


次に、既往研究『内と外の空間論―言語系の表現事例を通して』を主題に議論を行いました。

発表として、文学テクストの空間は人物の意識と呼応しながら構成されており、どの人物の立場でテクストを読み解くか、その空間の中心点の位置によって空間の内部・外部の規定は変化する。記述された空間を解読するにはその空間の中心点を見定め、人物の心境と重ね合わせて空間の意味を捉える必要があるということが指摘されました。

まず、参考文献として国文学者であり文芸評論家である前田愛による『都市空間のなかの文学』を取り上げ、文学作品とそこに描き出されている都市空間の相関を解読する中で著者の空間の捉え方について発表されました。




著者は作中人物の心理や行動を〈図〉とした上で、その背景として記述される空間を〈地〉として捉え、〈地〉である背景としての「内空間」は作中人物や語り手の意識を反映し、人物の行為と呼応しながら全体の意味を強めていると指摘します。
次にG・フローベルの『ホヴァリー夫人』を例に説明し、テクストの空間には語り手や作中人物の視点を基準とした中心点が存在し、話の進行とともにそれが移り変わることで「内空間」の拡大がもたらされると指摘し、テクストの中で実際に記述されている部分は限られているが、読者はその記述されている部分に喚起されて記述されていない部分の空間をもイメージするとしています。
また主体となる人物が変化することで、空間のオモテとウラは逆転し、空間を把握するための中心点を何処に定めるかによって同じ場所であっても異なる空間として表出することを指摘しました。




またベルリンの都市空間を「内」と「外」の対立項で分節化したテクストとして知られる森鴎外による『舞姫』を取り上げ、「公」であるベルリン中心部から見ればクロステル街は都市の外部であり、裏側としてマイナスの意味合いで認識されるが、太田にとっては自身の心境と一致した内部的空間であったと指摘します。その中で片山孤村の『伯林』を取り上げ、クレーゲル路地の実景を議論と連関した路地の参考写真として挙げました。


『内と外の空間論―言語系の表現事例を通して』発表後の討論の内容としては、今回の発表を踏まえて、写真ばかり題材にしていては発展性がないのではないかという問題提起は多いに出来ると言う意見があり、人間の心の中には内と外があって、それ次第で中心が変化し見方が圧倒的に変化する中で、作者が想像しているもの以上に人々がどのように感じるかということが小説は興味深いと思ったと言った意見がある一方、言葉は一つで一つの空間しか表現できないという言説もあると言った指摘も為されました。また文学の空間は現実の距離を点から点にジャンプ出来るという事や、小説が映画化されて急に幻滅してしまうような現象は、このイメージの縮小に対して幻滅するのであろうかといった視点等様々な議論が展開されました。
また、共有できる価値が確立していないと、路地にしてもそれらを認識させることが出来ないが、それを超越出来るのが絵画や文学ではないのかという意見や、路地をレポートのような形で整理することは出来ないが、文学においてはそれらを整理・意識化することが出来る。このもどかしさは一体なんなのであろうかという指摘もありました。その中で挿話を挟むことが出来る事が多く発生する場所が人間生活遺構論であるという視点の重要さが再確認されました。


以上、今回の路地ゼミにおいてはパラメータによる路地の再評価と内と外の空間論からより広い視野で路地を捉えるという二軸構成により、路地の評価方法に関してより広範囲に捉え、深く掘り下げてゆくことで更なる発展が期待できる有意義な内容の討論が展開されました。


文責:赤池一仁

2013年6月24日月曜日

第四回路地ゼミ13.06.20議事録

約4ヶ月前、「路地とは何か」というテーマから発生した路地ゼミは、それ以外に明確な指標を持たないまま、手探りの状態でスタートしました。私達はその活動を研究室内ゼミやフィールドワーク、そしてこのブログの「今日の路地」で継続的に行い、それらのまとめとして5月には『路地本』を製作し、そこで路地ゼミはひとつの段階を終えることとなりました。

このような過程を経て、今回から路地ゼミは第二期に入ったと言えます。
6月20日のゼミでは今後の方針が議論されたわけですが、その活動報告の前に一先ず、『路地本』よりその目次と序論を紹介したいと思います。


2013年4月12日金曜日

第三回路地ゼミ「可変度」


第三回路地ゼミのグループディスカッションにおいて僕たちは、前回キーワードとなり、消化し切れなかった路地における「時間」について、より踏み込んで考えていきました。

これまでの路地ゼミの議論によって浮上した「奥性」「レイヤー」「ずれ」などという言葉が、その言葉自体に路地性を内包しているのに対して、「時間」はあまりに言葉の枠が包括的すぎるので、あくまで路地という枠組みの中で「時間」を捉えていくことは出来ないのかということを考えていきました。

そこで僕たちが新たに設定したキーワードが「可変度」です。
「可変度」は時間の短さ、速さに対して、路地にどれだけの変化があったかを図る尺度です。


「可変度」による定量化

上の写真が今回のディスカッションボードであり、x軸に変化に用した「時間」、y軸に変化の大きさをとって、写真を並べていったものです。

タイ レールマーケット


例えばこの写真で言えば、電車が往来する10~20分という短い時間に対し、線路に沿ったアーケードが発生します。時間の短さに対して変化が大きいので可変度は大きくなります。


Peratalladaの路地


次にこの写真で言えば、一年や季節のサイクルといった長い時間に対して、植物の繁り方、覆い方が変化し、この路地全体の印象を決定していくと考えられます。


Michael kenna

次にこの写真で言えば、明暗のコントラストに富み、奥性を感じさせる路地でありますが、可変度という尺度で解釈をしてみると、長い時間に対して変化が期待できないということが言えると思います。可変度が小さく、魅力的な路地と言えないかもしれないと言う事です。

質疑応答では様々な意見と問題点を指摘していただきました。

・定点での評価にしかならない、写真の評価に留まってしまっている。猫や落書きなどに寄った写真もあれば路地全体の写真もある。要素を抽出したいのか、路地自体を評価したいのかどちらかが不明瞭。路地的なものの評価はできるかもしれないが、路地の評価にはならない。

この意見が出たのは、1つの路地において1つの可変度を示す要素しか抽出しなかったからだと考えられます。前回の「時間」のグループでも似た事を言われたので繰り返しになってしまいますが、1つの路地に対して可変度を示す要素を徹底的に抽出して、「時間」によって分布を作成する。それを様々な路地において行ってみる事で、「良いと思える路地」に要素の集積による一定の基準が表れ、路地全体の評価軸になるかもしれない、と考えます。

・そもそも変化というものが路地を歩いた時に見えてくる変化ではないので、観察者の視点が捨象されてしまっている。

次回の路地ゼミで行う銀座でのフィールドワークによって、歩行体験という時間軸を通すことができるので、この意見に解答できる可能性があると考えます。それに伴って、x軸にとった「変化に要する時間の早さ、短さ」も変わるだろうと思います。

まだまだ発展途上ですが、前回の「時間」の考え方を進展させる事ができたと感じます。次回以降は実際に路地を歩く事によって「時間」を路地に投影していきたいと思います。

文責 伯耆原洋太

2013年4月5日金曜日

第三回路地ゼミ「Image Map」

初めに二つ、前置きをしておく必要があると思います。一つは「認識の方法」、もう一つは「デザインサーベイの功罪」について。

まず、前回のゼミでは、「路地」とは近代以降を生きる私たちの認識の中で初めて現象する事象であり、認識の多様さに依ってしかその意味を照射することは出来ないということがテーマとして浮かび上がりました。
その中で私たちは、様々な視点から路地を捉えてみることを試み、「時間」や「認識のずれ」、「奥性」や「レイヤーの数」といった言葉を拾いだす作業を行ってきました。
つまり、「路地」というvoidを中心として、その周縁の論理を精緻に構築していくことで「路地」を言語化していくことが、本ゼミの姿勢である様に思います。誇張して言えばそれは、曼荼羅的東洋的な思考の方法、タルムードに代表されるようなユダヤ的な思考の方法、イスラムの都市形成の方法、「ゲニウス・ロキ」(鈴木博之さんは「地霊」と訳している)の本来の意味と同様の思考形質であると思います。

もう一つ。1960年代以降に盛んに行われ、論じられた「デザインサーベイ」が何故一時的なブームで終わってしまったのか、ということは度々ゼミの議題にあがります。個人的に思うことは、そもそもデザインサーベイの目的は、消えゆく集落の記録であったり、実測作業を通じて空間を身体化するために始まったことと思いますが、それがいつしかカタログの作成や、発表のための調査に態勢が移り変わってしまった。それは、学術そのものが体系化し形式化していく時期と同調していたように思います。
つまり、本来観測者の主体性や身体性に多くを負っていたものが、評価の客観性や応用の方法に多くを求め過ぎたのではないか。

さて、前置きが長く大きくなりすぎましたが、私たちは今回、以上のことを踏まえてImage Mapの作成を行いました。
目的は大きく分けて3つありました。
・今までの路地の写真を分布的に整理していく方法とは別のやり方を発見すること。
・それぞれの主観的なImageを尊重すること。
・それぞれの認識の方法の関連性を発見すること。

13.04.03 Image Map
グループメンバーの4人がそれぞれ色の違うペンを持ち、路地の写真の中から無作為に選んだ写真を中心において、各自が連想する言葉を拾いだし、それらを自由に繋げていきました。そしてさらにそこに表れた言葉から連想される、路地や路地的な写真を外周に添付していくことで現時点でのImage Mapとしました。

やってみてわかったことは、この方法は、今まで行ってきた「路地」の認識に対するメタ的な認識の方法としては効果的であること。逆に、あくまで表層を滑る様にビジュアル化したモデルでしか無く、それぞれの言葉や認識の深度に対しては言及し得ないこと。
仮に、この方法を空間的にも時間的にも無限に拡張して行うことが出来れば、参加した者たちの主観の集積として、この路地ゼミの様態をもっとも的確に表現した地図と成り得ると思います。また、その地図をさらに立体的に構築することが可能であれば、私たちにとっての「路地」の認識のモデルと呼んでもいいものではないかと思います。

質疑応答の中でもありましたが、この地図の中心を「路地」という言葉からスタートした方がより純粋なImage Mapと成り得たのだろうと思います。また、一度即興的に作成した地図を整理していく過程、つまり言葉を取捨選択しヒエラルキーをつくる作業が必要になるのではないか。しかしそのことと、主観の集積ということは矛盾するのではないか。といった議論もありました。

この地図の最も重要な役割は、「私たちの認識の集合を認識する」といった、確認作業にある様に思います。なので、今後より「路地」を認識するための言葉が研ぎ澄まされていった段階で、もう一度同じ地図を作ってみることで、新たな発見があるのではないかと期待しています。


文責:早田大高

2013年4月4日木曜日

第三回路地ゼミ13.04.03議事録

4月3日に第三回の路地ゼミを行いました。
今回も最初に各自が持ち寄った新たな路地の写真について、簡単に発表してもらいました。
その後、前回同様3つのグループに分かれて、前回議論に出た「時間」「ずれ」「パラメーター」を発展させたり、全く別の角度から路地を評価していくことについて議論してもらいました。

今回のゼミでは、これまでにかなり議論が成熟してきた「奥性」という一つの路地の評価軸とは別の指標を見つけることが主題となっていました。路地は多様な側面を持っており、その路地を語っていくためには「奥性」という路地のある一面だけではまだまだ不十分ということでした。

今回の3つのグループは、「認識のシークエンス」、前回の「時間」を発展させた「可変度」、「主観の蓄積」という問題を取り上げて、作業をしてもらった後に各々発表しました。3つのグループのプレゼンテーションについての詳細は後ほど紹介します。
「認識のシークエンス」グループ発表
「認識のシークエンス」のグループは、路地を歩く人がその路地にある要素を認識する流れ、シークエンスを分析するという路地の評価方法をとりあげました。
「可変度」グループ発表
「可変度」のグループは、前回のゼミであった「時間」に「変化の大きさ」を加えることで、「奥性」に加えての新たな路地の評価軸を提案しました。
「主観の蓄積」グループ発表
「主観の蓄積」のグループは、各人が路地にある要素を主観的に書き出し、それをいくつもの路地に対して行っていきました。その主観性を蓄積することで路地の全体性が浮き彫りになってくるのではないかという提案でした。

3グループの発表を見ていく中で、「奥性」とは異なる路地の評価軸を見つけるには、まずその評価の方法から変える必要があると感じました。「奥性」は、1枚のある路地の、あるいは路地的な写真や絵画から評価していくというものでした。「認識のシークエンス」のグループでは、路地にある様々な要素の写真や平面図から評価し、「主観の蓄積」のグループに関しては、路地の写真が路地について述べられた文章からでも路地の要素は書き出せます。今後は、これまでの写真という評価のかたちにとらわれず、各々が持っている路地のテーマに適した評価の方法を模索していくこと、また別の評価のかたちが路地の違った側面を窺い知れる手がかりになるのではないかと感じました。

文責:佐々木 崇

2013年4月3日水曜日

第二回路地ゼミ 「パラメータ」グループ

「パラメーター」グループに関しての報告です。

「パラメーター」グループでは、第一回路地ゼミで議題にあがった路地の奥性について、考察しています。第一回路地ゼミで商業と生活、意識と無意識によって分類され得ない魅力的な路地というものがありました。その魅力の一つの要素を路地の奥性と捉まえ、明暗やカーブ、シンボル等の視覚的な要素をもとに評価しようとしたものを発展しています。

ここでは、奥性を評価するパラメータを、それまでと同様、散布図(二項軸によるダイアグラム)によってつくることを目的にはじめました。
路地の奥性を演出する要素について、先述したようにカーブの度合い、明暗やシンボルの有無などがあげられてきましたが、その他にも段差や開口の数などが考えられます。
二項軸のひとつは「カーブの度合い」とした上で、我々はもう一つの軸を「レイヤーの多さ」と設定し、それら雑多なものをレイヤーをつくる要素として一つの軸にまとめて検討しました。



【図の写真】
横軸をカーブの度合い、縦軸をレイヤーの多さとしている。

ダイアグラムの作成にあたって、一つのイメージに対し個々が感じるレイヤーの多さが異なるものについて、グループ内で議論しました。
そのなかでレイヤーをつくる要素、すなわち奥性を演出する要素の抽出を行っています。

・カーブの角の数
・目地の変わり目
・階段の段数
・人
・壁の凹凸
・明暗の差
・扉、窓の数
・外に出されたプランター
・看板

このように、一度レイヤーという概念にまとめてから再びそれぞれの要素に分解することで、奥性をつくりだす要素を再抽出する余地ができたと思います。

しかしながら、レイヤーという概念によって二項軸のパラメータを実現しようとしてきましたが、このパラメータをもって奥性の強弱を評価することの難しいことや、どうしても二項軸に入りきらない要素が出てくる問題もあり、別の方法を模索する必要がありました。
そこで我々のグループは、最終的にレーダーチャートによるパラメータ作成の提案を発表しました。


【レーダーチャート】
一つの図に写真を分布するのではなく、一つの写真に一つの図(レーダーチャート)を与える。

上のようなレーダーチャートをそれぞれの路地の写真すべてに対して作成し、評価します。その上で、奥性の強弱の評価とレーダーチャートの傾向との間になんらかの関係性を発見できないだろうか、という提案です。
奥性という感覚の問題と、数値化された値との関係を考察することで、感性を数値化し、パラメーターとして表すことの可能性を考えています。

以下質疑応答の議事録です。

塩谷:パラメータを作る話がデザインサーヴェイを思い起こさせる。デザインサーヴェイは表現主義的なところがあって、結局衰退してしまった。パラメータを作って楽しんで終わってしまった節がある。
今回同じようなことをすることで、果たしてデザインまでもっていけるのか。

渡部:そういう危険性があるにもかかわらず、印象論で終わらせないためにまずパラメータが必要だと感じる。それはそれとして、ある意味割り切ってまずやってみることが必要なのでは。デザインが目的ではない。
パラメータというやりかた自体、全てをまかなえるものではない。

伯耆原:写真でパラメータを作ってやることに違和感がある。路地の写真の良さの数値になってしまうのではないか。奥行とかカーブは撮る場所によって変わる。

渡部:それはそう思う。とくに奥行をテーマに扱っている場合、考えていかなければならない。

早田:この作業は敷地模型をつくるようなもの。やらないと始まらない、やりながら発見があると良い。
デザインサーヴェイでもいろいろなパラメータはあるけど、少なくとも路地に対するパラメータはない。
パラメータを作っていく中で、対象もしぼれるのでは。

塩谷:パラメータを客観的なものとして扱っているように聞こえるが、実際は主観になってしまうのでは。

渡部:主観も積もれば客観性が出てくる(笑)
早田:デザインサーヴェイの陥った問題で、客観性を突き詰めれば破綻する。
松岡:前提として良い路地として選んできているものに対して主観が既に入っているので、客観性にこだわる必要はないのでは。

2013年3月25日月曜日

第二回路地ゼミ 「時間」のグループ

路地と「時間」に関してディスカッションした結果を報告させていただきます。 「時間」のグループでは、路地を形成している「時間」を表象する要素や背景を抽出し分類しながら、それらの要素がいかに路地の全体像を決定付け得るのかを考察していきました。 

第二回路地ゼミ「時間」グループディスカッションボード

このディスカッションボードは500ほど収集した路地の写真の中から、超短期(一瞬、瞬間、偶発)、短期(2~3時間、一日)、中期(数日)、長期(10~20年)、超長期(100年)と大まかに範囲を区分した尺度によって、左に向かうほど長いレンジを内包する路地を並べたものです。



例えばこの写真では一匹の猫が路地に座っています。前回の路地ゼミで猫などの動物は本能的に自分の領域を求め裏に潜むとして路地的であるという話が上がりました。猫が座り、しばらくすると立ち去ります。ここに座りくつろぐ猫は路地における短期的要素であると言えます。 



この写真では子供が路地に落書きをしています。ここで路地は子供達の遊び場となり、その落書きは路地を構成する大きな要素となり、2~3日するとだんだん消えていきます。中期的な時間を帯びる要素として分類しました。 




この写真では左下の階段が切り欠かれている部分を抽出しました。 この階段が造成されたとき、住宅かもしくは塀が植木鉢の置かれている赤いエリアまで存在していたが、階段ができた後、立て替えや改築が行われたことによってこの空間が生まれたと考えられます。この階段の切り欠きや、誤差の生んだスペースが決定的にこの路地を性格付けていると思います。 立て替えや増改築の行われる10~20年の時性を帯びる要素として抽出しました。



この写真では下町の長屋風景の背後にスカイツリーが建っています。 スカイツリーの建設によって今後何十年何百年のスパンで大きく風景が激変するはずです。 ここではスカイツリーを超長期的な要素として抽出しています。


このようにそれぞれの要素が帯びる時間を分類してきましたが、自転車や生活道具など短期的要素と建て替え増改築跡など長期的要素が同時に存在し得ることもあります。またその路地は、例えば東京であれば関東大震災や戦後にかけて行われた都市計画、区画整備の履歴の上に在り、細分化と変遷のプロセスによって成り立っています。 
 今回のゼミでは明確な区分によって分類しましたが、路地における或る複雑性とは、短期•中期•長期を現す要素が重層し混在することから発生していると考えられました。

質疑応答では、様々な路地から一つずつ要素を抽出したために、時間軸として並べてはいるが、一貫する要素が存在していないので分かりにくいと言われました。 今後の進め方としては、今回のディスカッションの手法とは逆に、数ある路地の中から1つの路地を選定し、その路地の中に含まれる要素をスケッチ等によって徹底的に抽出し、その要素を時間軸で並べていくというプロセスをとっていくことで一貫性を獲得でき得ると考えます。
 また、一つの路地に入り込んで徹底的に要素を抽出していく姿勢と、長期的な時間を扱う上で、都市という大きなスケールの中における生成過程によって発生した一本の路地という、少し引いて眺める姿勢も「時間」を扱っていく上で重要なのではないかと感じました。 

最後に、これら時間を表象する要素があるから「ここは路地である」ということになるわけではないことを自覚しておかなくてはならないと思います。あくまでそれらの要素が「路地的である」という、ある一定の共通認識とどう関係を持っているかを考察し、掘り下げていかないといけません。
難しいトピックであることは重々承知ですが、今後の路地ゼミでより深く議論を交わしたいと思います。

文責:伯耆原洋太

2013年3月24日日曜日

第二回路地ゼミ 「ずれ」グループ

3月20日に行われた第二回路地ゼミでは3つのグループに分かれてそれぞれの考える「路地」に関するパラメーターをプレゼンテーションしました。今回は「ずれ」グループに関しての報告です。

「ずれ」グループでは、路地の発見者と生活者の認識の間にある「ずれ」に焦点を当て、路地について考察しています。




認識の「ずれ」による評価軸の提案
観察者と生活者による路地の見え方の違いというものに着目し、それが何を起因とするのか、という考察を行いました。ボードの上ほど両者の認識の差が大きく、下ほど一致していると考えられるもの、というようになっています。


この路地などは最上部に位置づけられたものです。生活者にとっては路地を構成している物干、植木鉢などはあくまでも物干、植木鉢であり、生活の中の物質のひとつとして見ているのに対して、観察者は場全体の雰囲気をまず捉え、他者の空間である場へ侵入しているという好奇心なのか、どこかで見たことのある風景としての魅力なのか、そういうものを感じ取っているのであり、そこにはこの場に対する両者の大きな認識の差があると考えられます。
 一方、こちらはこの場を「路地」として見せようという意図があり、観察者もその意図するところを素直に感じ取ることが出来るようなものではないかと考え、両者の間には認識の差はほとんどないと言えます。

そうして分類したときに、その路地が現れた年代、より短絡的に言うと建築物の築年数の順番になってしまう傾向がありました。しかしそれがその場を見た人がどれだけイメージを重ねられるか、という問題であるとすれば、観察者としての私たちの中にある都市のイメージ、路地のイメージが、時間を経たものの方が重ねるソースが増えよりはっきりしてくるということであり、また先生のお話でもあったように、空間、時間の問題として路地を認識していく必要があるということの表れでもあると思います。

また、観察者と生活者の認識に差があるほど、路地としてその場を観察者として発見した人の驚きは大きいのではないか。とすると、「ずれ」の認識の差を「路地」のひとつの評価軸として捉えることで、その差を埋める方向での展開、埋めないが何かをするという展開の両方がありうると考えました。


質疑応答では、上段、中段、下段、という風にあまりにも明確に分かれすぎているのでないか。下段の宿場町の写真などは、そもそも路地なのか。ズレが大きいものが生活の路地、小さいものがしつらえの路地というように感じられるが、ズレの大きいしつらえの路地、などがあり得るのか、など多くの質問が出ました。また、ズレがあるということは生活者と観察者の意思の疎通が不可能であるということなのではないかという疑問に対しては、そのズレこそが魅力なのであり、そこに対して何か働きかけることが出来ると考えています。しかし視点、認識という抽象的な問題であるため、これまで入江研究室で研究されてきた人間生活遺構論として具体的な展開に移行するのは簡単なことではないのは明らかであり、パラメーターとして曖昧なところが多くあるということがよくわかりました。 しかし路地に対する生活者の視点と観察者の視点という観点は、路地を認識の問題として捉えたときに重要な要素であり、これからも継続して議論していきたいと思います。


2013年3月21日木曜日

第二回路地ゼミ13.03.20議事録

第二回路地ゼミ風景
3月20日に第二回路地ゼミを開催しました。
出席者12名。前半、入江教授にも御出席いただき、路地ゼミの主旨についてお話いただきました。
当日の午前中には、神楽坂にて、神楽坂商店街を軸とした15の路地に対してのフィールドワークを行いました。この件についてはいずれ別のログで詳述します。
今回新たに各自が持ち寄った路地の写真についての発表を行い、それも含めた約500枚の路地の写真を用いて、いくつかのグループに分かれて、路地の分類・整理の仕方について議論しました。
ディスカッション風景
今回のゼミの中で根底にあったのは、「路地」とは近代以降の意識の変革の中ではじめて発見された「認識の方法」であり、現象としては中世や近世にも存在したが、それは私たちが現在認識している様な「路地」というものではなかったのではないか。そしてまた「路地」は、家父長制であったり権威主義的であったりする社会からはなれた、主権在民の社会における「認識の方法」であり、私たちはそれを収集し区分け、整理していくことに依ってはじめて無形の「路地」を発見する事が出来るのではないかということであった様に思います。
その前提において、今回わかれた3つのグループはそれぞれ、路地を形成する「時間」の問題、認識の「ずれ」の問題、前景としての「パラメーター」の問題に着目し、区分けを行い、発表しました。各グループのプレゼンテーションについては後ほど別のログで紹介します。
「時間」グループ発表
「時間」のグループは、それぞれの路地の中にある時間を抽出する事で、その帯時性の程度による分類を行いました。
「ずれ」グループ発表
「ずれ」のグループは、観察者と生活者の中にある認識のずれに焦点を当てて、その程度による分布と特徴を抽出する方法をとりました。
「パラメーター」グループ発表
 「パラメーター」のグループは、その路地の構成要素を言語化しようとする過程で、まず初歩的ないくつかのパラメーターによって整理する必要があるのではないかという事を発見しました。

いずれのグループいおいても、私たちが半ば感覚的に「路地」と呼んでいるものを、どのように認識し評価していくかといった問題を取り扱っており、今回見つけたテーマを深化していく中で、一人一人が各様のテーマで路地を論ずる事が出来るようになることがひとまずの目標である様に感じました。
また、バルセロナからの留学生のマルタの言った、抽象的なものと具象的なものを同時に議論した点が第一回のゼミにおいて優れていたことであり、その視点を忘れてはいけないということ。私たちはあくまで建築をデザインするものであり、その視点を忘れてはいけない、ということが最も印象に残りました。
今後も、こういった議論を通して、「路地」とはなにかといったことを追求していけたらと思います。

文責:早田 大高

2013年3月11日月曜日

第一回路地ゼミ13.03.09議事録

第一回路地ゼミ風景
 3月9日に、第一回の路地研究ゼミナールを開催しました。各自が持ち寄った路地の写真(路地的なものとしての絵画等も含む)について、それをなぜ路地だと思うか、魅力的な路地の条件は何か、個人的な路地体験などをふまえて、集まった路地の群をどのように分類出来るかを議論していきました。
その日の議論の一応の結論として、生活に直結したもの(living)と商業的なもの(commercial)、意識的にしつらえられたもの(performance)と無意識的に集積したもの(unconscious)というパラメータによって分布をつくって見る事としました。
商業と生活、意識と無意識によって分類したダイアグラム

路地的であるもの 分類後の残り
議論をしていく中で、路地的でないかもしれないとされたもの

しかし、この分類によって、路地的空間のすべてが整理されるわけでもなく、こういったスタディーを何通りも重ねて行く事で、今後「路地的空間」と呼んでいる意味を明確にしていく必要があると思います。

マルタ・モデル 今後の分類の可能性として
また、今回のゼミにおいて大いに争点となった、路地に対するそれを取り巻く建物の中で生活する人たちの関心の度合いによって、路地は魅力的にも暴力的にもなりうるという事。路地的空間を構成している視覚的な要素としての奥性(明暗やカーブ、シンボル等の奥へ導くもの)や集積性の評価の仕方。絵画のなかにある路地性をどのように言語化出来るか。それぞれの路地の文化的背景との関連性。そういったことも含めて、次回のゼミの中で議論していければと考えています。

次回は、3/20(水)15:00〜 於:目白分室 を予定しています。
一人3〜5枚程度、路地の写真データを持ってきてもらい、それを簡単に説明した後、いくつかのグループに分かれてこれらの路地に対してどういったグルーピングや分類が可能かについて議論してもらい、それを各グループ発表していくという形式をとりたいと思います。よろしくお願いします。

参考文献
『人間のための街路』/B・ルドフスキー/鹿島出版会 (1973/7/15)
『アメリカ大都市の死と生』/J・ジェイコブス/鹿島出版会 (1977/01)
『見えがくれする都市―江戸から東京へ』/槙文彦/鹿島出版会 (1980/6/20)
『見えない都市』/イタロ・カルビーニョ/河出書房新社 (2003/07)
『マニエリスムと近代建築』/コーリン・ロウ/彰国社 (1981/10)


パネル1

パネル2
パネル3
パネル4
パネル5
以下、当日の議事録の一部です。