2013年7月18日木曜日

今日の路地・スカンノ


今回の今日の路地は、イタリア半島のなかばからやや南の山あいにあり、いまでは人口二千人ばかりの小さな町スカンノ(Scanno)の路地です。画家マウリッツ・エッシャー、写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン、また特に写真家マリオ・ジャコメッリの眼から見たスカンノという町をみてみることによって、“路地的なもの”と今まで議論されてきた曖昧なイメージに対し、より具体性を持った話が出来ればと思います。

・エッシャーのスカンノ


Escher, Scanno, 1930
同じ構図から見たスカンノ

画家マウリッツ・エッシャーは1930年にスカンノの絵を描いています。エッシャーは1920年代後半から30年代前半にローマに住んでおり、イタリア各地を旅行しては風景画を多く描いていました。この絵はその時の一連の作品の中の一つで、二人の人間が戸口に座っている風景が描かれています。







・カルティエ=ブレッソンのスカンノ

Henri Cartier-Bresson, Scanno, 1953
Henri Cartier-Bresson, Scanno
Henri Cartier-Bresson, Scanno



アンリ・カルティエ=ブレッソンは、1950年代にスカンノの土地を訪れて作品を残しています。下にあるマリオ・ジャコメッリの写真とほぼ同じ構図の写真を撮っており、彼に大きな影響を与えたのではないかと推測することが出来ると思います。



・マリオ・ジャコメッリのスカンノ


mario giacomelli, Scanno, 1957
mario giacomelli, Scanno, 1959


mario giacomelli, Scanno, 1957

mario giacomelli, Scanno, 1957


ジャコメッリは1957年と1959年に二度スカンノを訪れています。ジャコメッリは初めてスカンノを眼にした時の感動をこう伝えています。

「スカンノは、陽光にあふれ、そこここに黒い小さな人影があって、私におとぎの国の印象を与えた。まさにドキュメンタリーを思わせるもののいっさいが消えてしまうように、ディテールを白くとばそうとし、それによってそこに、より詩が見出せると考えたのだ。私はリアリズムをスカンノや、もしくはほかの土地でもなく、たとえ特別でも何でもないとしても、その時の私の心の状態を再現してくれるようなものごとについて追求しようとした。リアリズムは、優れたものであればとても好きだし、自分でもしっかりと手応えを感じるが、写真を撮る時にはこれから自分がしようとしているのがリアリズムなのか、シュールリアリスムなのか等々、といったことはまったく考えず、ただ自分が感じているものを出そうとしているだけだ。」(『MARIO GIACOMELLI 白と黒の往還の果てに』アレッサンドラ・マウロ編 2013年)

さらに、多木浩二はジャコメッリのスカンノに関するエッセイでこのように述べています。

「ジャコメッリの思い出によると、彼は最初に訪れたとき、友人の写真家レンツオ・トルネッリの車ではじめてスカンノを眼にした。その光景にすっかり興奮したジャコメッリは、まだ走っている車から飛び降り、10メートルくらいころがって膝を擦りむきながら撮影したという。」(『表象の多面体』多木浩二著 2009年)

「斜面に犇めく家々、高さの違いからいたるところに必要な階段、途中の小さなテラス、公園か広場あるいはメインストリートと呼んでもいいのかもしれない石畳の空間。そんなところを牛や鶏が歩き回っている。教会の数は多い。彼はスカンノの町を説明しようとしているのではないが、それでいて彼の写真からわれわれは、この町についての大まかな情報をえていることになる。けっして大きなパースペクティブには開かれることのないスカンノの空間の変化が絶えず感じられるのだ。」(
『表象の多面体』多木浩二著

以上が、三人の芸術家がスカンノという町を表現していた概略ですが、ここで多木浩二や辺見庸のジャコメッリのスカンノに関する批評をみていくことで、“路地的なもの”に関する手がかりを見つけていきたいと思います。



「ジャコメッリは現実からは失われた古い記憶に巡り会っていたのだ。彼にはスカンノの町はいまでも神話に生きているように見えたのであろう。だが文化をつくってきた人類は、どこかに記憶をたくわえることもなく生きているはずはない。ジャコメッリはつねにそう思ってきた。だからスカンノを見たとき、そのように古い記憶に巡り会ったように思えたのである。現在を生きることにのみかまけているわれわれは、ジャコメッリの写真に触れて記憶の古層に引き込まれ、同時にその記憶を現実の生活のなかに引き出そうと考えるようになればいいのである。」(
『表象の多面体』多木浩二著

「古い村ときけば、まずは風俗や文化を研究しなければならないと考えるわれわれの紋切り型の発想に反して、スカンノの風俗や地域文化を撮るという問題意識をジャコメッリはいっさいもたなかった。かれはこの村を端的に〈異界〉と見たのである。・・・・・「スカンノの少年」に代表される〈異界〉の映像は、〈資本〉に食いつくされる以前に人間がもっていたであろう豊かなイマジネーションを回復するための手がかりでもある。われわれが生まれる以前の〈記憶〉をたぐりよせて、記憶の始原について考えたり、時間とはなにか、人の一生というのはなんなのかということを、浅薄な倫理を超えてあなぐるための映像的な手がかりをジャコメッリは提出している。・・・・ジャコメッリの内面の異空間と見る者の内面の異空間とが、ある〈記憶〉を共有しているところから、見る者にもジャコメッリのとらえた〈異界〉が遠い世界のものとはおもわれず、夢で見たことがあるような感覚(デジャーヴュ)にとらわれるからなのである。ジャコメッリと私たちは冥界を共有しているといってもよい。おそらく、われわれの遠い祖先たちの時代には、〈現〉のなかに〈異界〉が自然に入りこみ、たがいに仲よく親しんでいた時代があったのである。そしてそのかすかな〈記憶〉から、いまわれわれは、〈異界〉や冥界が身近にあるような風景を意識下で欲しているのであろう。「スカンノの少年」の映像は、そんな〈記憶〉を呼びさますことで、イマジネーションを回復するためのたしかな手がかりとなったのである。」(『私とジャコメッリ 〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて』辺見庸著 2009年)


ここに出てきた“記憶の古層”や“異界”という言葉は、ジャコメッリのほかの二人にも、程度の違いはあるにせよ、または自覚的であったかそうでなかったかはあるにせよ、当てはまる言葉ではないかと思います。また、“路地的であるもの”にも関係してくるのではないでしょうか。

三人の芸術家がスカンノの町を見て、彼らの“記憶の古層”に巡り会い、さらに彼らの表現したものを見て、私たちは自分の”内面の異空間”にある〈記憶〉を共有する。そのことこそ、私たちが“路地的なもの”と感じる所以ではないかと考えています。

さらに、自分の言葉でまだまだ言語化できていませんが、先日のゼミで議論になった“内空間”へとつながる話であるのではないでしょうか。今後、こういった議論をできればと思っています。





文責 松岡 啓太

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