2013年3月17日日曜日

今日の路地・6 「猫町」


 以下は、萩原朔太郎による小説「猫町」の一節です。

 その日もやはり何時も通りに、ふだんの散歩区域を歩いていた。私の通る道筋は、いつも同じように決まっていた。だがその日に限って、ふと知らない横丁を通り抜けた。そしてすっかり道をまちがえ、方角を解らなくしてしまった。(中略) 余事はとにかく、私は道に迷って困惑しながら、当推量で見当をつけ、家の方へ帰ろうとして道を急いだ。そして樹木の多い郊外の屋敷町を、幾度かぐるぐる廻ったあとで、ふと或る賑やかな往来へ出た。それは全く、私の知らない何所かの美しい町であった。(中略) 私は夢を見ているような気がした。それが現実の町ではなくって、幻燈の幕に映った、影絵の町のように思われた。だがその瞬間に、私の記憶と常識が回復した。気が付いて見れば、それは私のよく知っている、近所の詰らない、ありふれた郊外の町なのである。(中略) 何もかも、すべて私が知っている通りの、いつもの退屈な町にすぎない。一瞬間の中に、すっかり印象が変ってしまった。そしてこの魔法のような不思議の変化は、単に私が道に迷って、方位を錯覚したことにだけ原因している。いつも町の南はずれにあるポストが、反対の入口である北に見えた。いつもは左側にある街路の町家が、逆に右側の方へ移ってしまった。そしてただこの変化が、すべての町を珍しく新しい物に見せたのだった。
 その時私は、未知の錯覚した町の中で、或る商店の看板を眺めていた。その全く同じ看板の絵を、かつて何所かで見たことがあると思った。そして記憶が回復された一瞬時に、すべての方角が逆転した。すぐ今まで、左側にあった往来が右側になり、北に向って歩いた自分が、南に向って歩いていることを発見した。その瞬間、磁石の針がくるりと廻って、東西南北の空間地位が、すっかり逆に変ってしまった。同時に、すべての宇宙が変化し、現象する町の情趣が、全く別の物になってしまった。つまり前に見た不思議の町は、磁石を反対に裏返した、宇宙の逆空間に実在したのであった。

 劇中における主人公は、三半規管に疾患を持っており、方角を感知する能力が人より劣ると言う設定の青年です。通常の旅行に飽きた主人公は、薬物による副作用によって現実と夢の狭間を往来する「旅行」を繰り返していましたが、薬物服用をせずとも、同様の不思議な体験が出来ることをある日発見しました。普段見ていた近所の横丁ないし散歩区域が、突如として見覚えの無い、非常に魅力的な世界に見えた。その世界を、朔太郎は作中で「景色の裏側」と表現しています。
 特に疾患もなく、無論薬物も服用したことのない私も、同様の経験をしたことがあります。例えば、電車に乗っていて、居眠りしてしまったとき。電車は終点を折り返し、一度通過した駅に、今度は逆方向から接近する。そこで目を覚ました私は、自分がまるで知らない世界に放り込まれたと錯覚する。見知った駅名を掲げた看板や、電車の乗り降りの記憶が無いことから、間違いなく普段利用している路線にいる。が、窓から見える景色が、進行方向から考えてまるで異なる。私は時計を見ることで、漸く異常な時間が経過し、終点を折り返し目的地とは逆方向に向う電車に乗っていることを知覚することで、窓から見える世界が馴染みのものだと気付く。それまでの短い時間ですが、未知の世界に思えた景色は新鮮で魅力的に感じましたし、作中の言葉を借りれば、景色の裏側を旅行したような感覚を覚えました。

 魅力的な路地とは、例えば全体は均質に見えながら通過する方向によって全く異なる様相を呈したり、気候や時間帯によって絶えず変化する要素を持ち合わせていたりして、来訪者に何らかの感覚(時間、方向感覚など)を麻痺させ、稀にふっと見たことの無い景色を見せてくれる。曖昧なものと言うよりは明瞭なものの集合であるが、それらが絶えず流動し、位置関係や時節と言った偶然性を孕むことで、時として景色の裏側を見せる。そういうものではないでしょうか。

写真は、挿絵を担当されている金井田英津子氏による作品


文責:岩澤亮介

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