2013年3月17日日曜日

今日の路地・7 「東京Y字路」


本日の路地ゼミのブログを執筆するにあたり、最初に浮かんだのは横尾忠則のY字路シリーズでした。ゼミで討論されている路地からは少々脱線しますが、私にとっての路地は横尾氏の絵に描かれるどこか殺伐とした路地にあると思い、本日の「今日の路地」は横尾氏の写真集「東京Y字路」の文を引用しつつ執筆させていただきます。



写真は横尾忠則の「東京Y字路」に掲載される目白のY字路です。路地ゼミでは、魅力的な「路地的空間」とは、奥へと誘う明暗の変化、不連続的な統一性を持った、人々の生活臭漂う空間と捉えられています。写真に映し出される路地は確かに上記のような条件を有していると思われますが、そこには路地特有のノスタルジックな温かみといったものを感じ難いです。寧ろ人を突き放すような冷たさすら感じられます。その理由として、背景が夜でありながら昼のような様子を覗かせている事と、全くの無人である事があげられます。

横尾忠則がY字路を描き始めたのは、故郷の西脇にあった模型屋の建つ三叉路を発端としています。横尾氏がある時この三叉路を訪れると模型屋は存在せず、それでもその場所を写真におさめました。あとでその写真を見直してみると、そこには見知らぬY字路があり横尾氏は「記憶の中の風景はそこにはなかった。その途端郷里に対するノスタルジーがぼくの中から消えて行くのを感じた」と述べ、「その時ぼくは「これだ」と思った。私意識から切り離された風景こそ絵の対象になるべきだと思った」と記しています。この時の感覚を基に横尾氏はY字路の連作絵画に着手し、「東京Y字路」の写真集に至ります。ここで「東京Y字路」内の椹木野衣の解説文を引用します。「横尾が(東京Y字路で)撮っているのはそのような瞬間なのだ。これは、横尾が西脇で最初に出会った「ノスタルジー」がかき消された状態、個人的な関心が見い出せず、記憶が消去されてしまった写真の有り様とも言えるだろう。西脇の模型店の時は偶然であったかもしれないが、本書に収められた写真のなかで横尾は、場所と時刻にかかわらず、「そのような瞬間」を克明に反復させている。」だからこそ、「東京Y字路」の写真に映し出される路地からは路地特有の温かみを感じ難い。寧ろ、感じさせないように横尾氏はY字路と路地を写真に収めたのだと思います。

「過去の写真はしばしばノスタルジーを保存する(あるいは生み出す)ものとしてあるけれども、この場合は逆である。むしろノスタルジーを消す装置として写真はあるのだ。反対に、Y字路の連作絵画において作者はノスタルジーを回復しているように思えなくもない。が、しかしそれは失われたノスタルジーを取り戻すことを意味していない。あえていえば、万人に共通のノスタルジーというか、そういうものを感じさせる(そんなものがあるとしたら、それこそ「普遍的な個」というものだろう。)」(椹木野衣の解説文より)横尾忠則のY字路の絵画における路地には、懐かしさを感じながらも殺伐とした冷たさを感じます。それは路地ゼミで討論されてきた、生活臭溢れるノスタルジックな路地的空間とは異なります。本日の「今日の路地」は、路地からはやや脱線した話題を取り扱いましたが、路地に対する対照的ともいえる視点を紹介する事で、今後の議論がより活性化されればと思います。

最後に、横尾忠則のY字路作品「暗夜光路N市-I」を掲載して筆を置きたいと思います。



参考文献:

『東京Y字路』/横尾忠則/国書刊行会 (2009/10/10)

文責:塩谷歩波

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