2013年3月24日日曜日

第二回路地ゼミ 「ずれ」グループ

3月20日に行われた第二回路地ゼミでは3つのグループに分かれてそれぞれの考える「路地」に関するパラメーターをプレゼンテーションしました。今回は「ずれ」グループに関しての報告です。

「ずれ」グループでは、路地の発見者と生活者の認識の間にある「ずれ」に焦点を当て、路地について考察しています。




認識の「ずれ」による評価軸の提案
観察者と生活者による路地の見え方の違いというものに着目し、それが何を起因とするのか、という考察を行いました。ボードの上ほど両者の認識の差が大きく、下ほど一致していると考えられるもの、というようになっています。


この路地などは最上部に位置づけられたものです。生活者にとっては路地を構成している物干、植木鉢などはあくまでも物干、植木鉢であり、生活の中の物質のひとつとして見ているのに対して、観察者は場全体の雰囲気をまず捉え、他者の空間である場へ侵入しているという好奇心なのか、どこかで見たことのある風景としての魅力なのか、そういうものを感じ取っているのであり、そこにはこの場に対する両者の大きな認識の差があると考えられます。
 一方、こちらはこの場を「路地」として見せようという意図があり、観察者もその意図するところを素直に感じ取ることが出来るようなものではないかと考え、両者の間には認識の差はほとんどないと言えます。

そうして分類したときに、その路地が現れた年代、より短絡的に言うと建築物の築年数の順番になってしまう傾向がありました。しかしそれがその場を見た人がどれだけイメージを重ねられるか、という問題であるとすれば、観察者としての私たちの中にある都市のイメージ、路地のイメージが、時間を経たものの方が重ねるソースが増えよりはっきりしてくるということであり、また先生のお話でもあったように、空間、時間の問題として路地を認識していく必要があるということの表れでもあると思います。

また、観察者と生活者の認識に差があるほど、路地としてその場を観察者として発見した人の驚きは大きいのではないか。とすると、「ずれ」の認識の差を「路地」のひとつの評価軸として捉えることで、その差を埋める方向での展開、埋めないが何かをするという展開の両方がありうると考えました。


質疑応答では、上段、中段、下段、という風にあまりにも明確に分かれすぎているのでないか。下段の宿場町の写真などは、そもそも路地なのか。ズレが大きいものが生活の路地、小さいものがしつらえの路地というように感じられるが、ズレの大きいしつらえの路地、などがあり得るのか、など多くの質問が出ました。また、ズレがあるということは生活者と観察者の意思の疎通が不可能であるということなのではないかという疑問に対しては、そのズレこそが魅力なのであり、そこに対して何か働きかけることが出来ると考えています。しかし視点、認識という抽象的な問題であるため、これまで入江研究室で研究されてきた人間生活遺構論として具体的な展開に移行するのは簡単なことではないのは明らかであり、パラメーターとして曖昧なところが多くあるということがよくわかりました。 しかし路地に対する生活者の視点と観察者の視点という観点は、路地を認識の問題として捉えたときに重要な要素であり、これからも継続して議論していきたいと思います。


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