2013年3月12日火曜日

今日の路地・2 イメージマップ

「路地」という言葉の定義が第1回路地ゼミで話題に上りました。路地(ろじ)は単刀直入に言うと「家と家のスキマ」ですが、どうやら京都では少し意味合いが異なり、発音も「ろーじ」となるようです。実は「ろーじ」と発音したことなどない私ですが、今回は京都出身者として京都の「ろーじ」を取り上げます。

これは甲斐扶佐義さんの写真集「京都の子どもたち」の中のいくつかある小見出しのページのひとつです。「狸橋・幸小路 イメージマップ」とされていて、かつて甲斐邸があった場所、お気に入りの狸橋を始めとして、安い変わった魚を売る店、ドンペリ1本30万のバー、などたくさんのメモが書かれています。

甲斐さんは岡林信康、中川五郎、浅川マキなどがライブをしたり、吉田拓郎や下田逸郎が顏を出し1970年代関西フォークの名所となった「ほんやら洞」という喫茶店の店主です。

甲斐さんは喫茶店の経営とは別に、 京都の町や人の写真を長年撮影しています。「京都の子どもたち」は甲斐さんが1975年から2003年までに撮りためた子どもたちの写真が、撮影した場所と一言メモとともにまとめられたものです。
甲斐さんの中にある京都のイメージマップはそこでの生活を感じさせる、「生活の路地」を強く感じさせるものとなっています。

「生活の路地」「しつらえの路地」というキーワードがゼミでは度々出てきました。またそれは第三者的な視点を意識しているかどうかというような言葉にも変換されてきましたが、甲斐さんのイメージマップや子どもたちの写真の遊び場や背景となっている路地は撮影者の生活の一部分であり、そしてある意味ではイメージマップはこのあたりで生活している人皆の共通認識を表しているように思います。来訪者によるその路地のイメージは現代ではノスタルジーに偏るところが大いにあると思いますが、そこに住む人にとっては自分の領域、生活の場を拡張してくれる役割を持つものです。京都と言えば、というイメージとは少し違うかもしれませんが、本当の「ろーじ」はこういうものではないかと思います。

最後に「京都の子どもたち」から一枚。
路地 新門前切通付近 1993


文責 吉川由

2 件のコメント:

  1. たしか、ケヴィン・リンチの『都市のイメージ』の中でも、場所を記述する為に、其所に住む人達にいくつかの質問をすることで、イマージマップの様なものを作成するという手法をとっていたと思います。
    それと関連して、このイメージマップの中で路地的な場所ということはどのように言語化されていたのか、もっと突っ込んで言えば甲斐さんという主体をとどのような関連を持ち得たのか、ということまで追求していくと、私的全体性の様なものがより浮かび上がってくるのではないかと思います。
    そこではじめて「生活者の目」と「異邦人の目」が連関を持ち得る可能性が見えてくる様な気がしています。

    最後の写真に関しては、この路地が子供の目で語られることでどういった効果を持ち得ているかということまで言及して欲しかった様に思います。それはつまり「それぞれの眼」によって空間は変質するということではないでしょうか。そえrはある意味で現象学的な命題であるし、ドゥールーズ等が指摘している様な差異性、ひいては時間の問題にまで発展し得るテーマだと個人的には思います。
    また、より即物的には、この石畳が濡れていることや手前が門型の庇によって閉じられていること、植栽が無造作におかれていること、路地が真っすぐに抜けていないこと、等の要素を含めて、何故この路地を魅力的に思うかということを言語化してく作業も同時に必要である様に思います。

    早田

    返信削除
  2. いわば文化人(ニッチな感性を持った人、と言った方がいいかもしれませんが)だけが持ち得たイメージの中の「ろーじ」はかなり含蓄のあるものの様に感じます。早田さんの言うように、リンチも身分や所得など、属性を異にする者たちのイメージを重ね合わせることで、多面的な都市の様相を捉えようと試みています。東京生まれ東京育ちの私は、京都の路地を見るにつけて「いいなぁ」と、何を拠り所にした良さなのかわからない感覚にとらわれます。現地の方々が持つ「ろーじ」へのイメージは、私の「いいなぁ」をより具体的に詳細に言語化する辞書の様なものになるような気がします。

    陰ながら拝読させて頂いております。

    後藤春彦研究室 大石

    返信削除